明日できることを今日するな
という“標語”を初めて知ったのは多分高校生の頃。
星新一氏のエッセイ(進化した猿たち)のどこかに登場していたと記憶。
今日、このラテン系のノリの標語が正しくないことを実感した。
荷物の整理はほぼヤマを越えたのだが、まだやるべきことはあって、この土日である程度片づけようと考えていたところ。土曜日は都内でどうしても外せない用事があり、よほど行くのを止めようかと思っていたのだが(片道車で75分も離れた場所なので)、用事を済ませた後で頑張って雨の中を片づけに行った。そうしたら、今日になって、突発事項で出勤する羽目になり、先ほど帰ってきたという次第。
日曜日にやる(できる)からいいや、と考えていたら真っ青になっていたところだった。
これでも、10年前に比べると、土日の生産性は著しく向上している。10年前は、ほぼ寝たきり老人状態だった。それだけ平日に疲れを溜めていたのだ。でも、10年前よりも今の方が忙しいし難しいのだが。
平日の疲れを週末に持ち越さなくなったことは、経験を積んだことが大きい。脳の力はピークを過ぎており、総合的な能力は低下し始めている筈だが、経験の量がある程度質的向上に繋がっているので、10年前よりも仕事能力はハッキリ向上している(少なくとも給料や地位の上昇分よりは向上している)。
これは一見して偉いようだが、実はその逆で、職種が変わったら一挙に使い物にならなくなることの裏返しでしかない。
そういうツブシが利かない人間なんだから、やはり経験は早めに積んでおかねばならないということのようだ。つまり、「明日できることも今日こなせ!」である。
それを今頃悟っても遅すぎるんだがな(爆)。