玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

エントロピーは増大する

 「菅内閣ですっかり熱が冷めた 地球温暖化対策の取り組み」なんて記事が出ているが。


 これだけで責められる内閣は(誰が総理であっても)ちょっとかわいそうである。円高対策とはかなり様子が違うと感じる。


 そもそも、政策はある程度パンチが効いていないと効果が得られない。効果が出る以前に、そもそも報道すらしてもらえない。報道されないと、重要でないと受け取る人が多くなるのは自然だから、同調者が得られず、一段と効果が出にくくなる。


 幸い、パンチが効いた政策を打ち出したとして、それが一段落すると(ゴールに到達していなくても、順調に走り出したりすると)、次の政策決定が待っている。いや、次のニュースソースを要求される。今決めたばかりの重要な政策は、報道的には過去のものであり、どうしても取扱時間が小さくなっていく。「骨太の政策」だって、1年で終わるようなものだけが書かれていたわけではなかったが、いま、あれに記載されていることについて、当事者以外はどれだけ関心を持っているか? 担当官庁と受益者(あるいは規制を受ける者)だけが関心を持っているだけではないかな。


 そういう政策の中に、重要なもの、当時はしっかりパンチを効かせていたものがあると、「忘れ去られ感」が出ているのではないかと思われる。


 地球温暖化対策も、リーマンショックが来るまでは重要だった(いや、今でも重要だが)。しかし、環境は所詮は生活が安定した後で取り扱われる案件である。経済が不安定、それ以前に円高対策も必ずしも十分ではないかのように言われている政治情勢で、地球温暖化に忘れ去られ感がでるのは、ある程度は仕方ないのではないか。
 熱中病の危険があるときに、クーラーを我慢できるか。そういう話になってしまうわけで。


 パンチの効いた政策を打ち出すことは、ある種のエネルギーや情報を集めることでもある。しかし、人間が注ぐことのできる努力の量には上限がある。次の政策に取り組めば、過去の政策に対するエネルギーや情報は自然に拡散してゆく。


 拡散しない仕組みや努力を守旧と呼ぶ人だっているんだし。