玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

ミニ同窓会に行ってくる


 高校の同級生が小さな小屋でショートムービーを上演するというので見に行ってきた。

 3本で50分弱の作品。正直に言って、行く前はそんなに期待していなかったのだが、結構良かった。



 一本目:生け花


 外見の美しさしか見てもらえない女性の話。彼女は、都会で根無し草でしかない自分に焦っている。まじめに勉強したのに、受付嬢に配属されてしまった。彼氏が出来たら、単に受付嬢としての自分しか見てもらえなかった。ならばと夜の商売に転職してみたが、客の前で生身の自分を見て欲しいと訴えてしまい、一晩でクビになった。夜の銀座でハイヒールを脱ぎ捨てて走り出す彼女。気づいたら、川の中で倒れていた。
 カウンセラーから、自分を表現する言葉を書け、と言われて書いた言葉が「生け花」だった。


 「生け花は生きているのでしょうか?」
 「根っこはないけど、それでも生きているよ。」


 根っこは、彼女にとって生きている証なのだった。
 だから、根無し草の自分に絶望して川の中で倒れていたのだった。


 朝の光を浴びて、意識が戻った彼女に、カウンセラーの言葉が蘇る。
 根っこがなくても、今の人生を精一杯生きてゆきなさい。
 彼女は立ち上がり、この世界でなんとか生きて行けそうな気持ちになる。


<感想>
 これが男だったら、最初の面接の所で「キミの話は自分の世界に入り込んでいるようにも聞こえるが、ゼミの教授とかからは指導がなかったのかね?」と聞かれるか、「・・・ちょっと独りよがりな奴だけど、やる気はありそうだから、あとはしごけばいいか」と思って採用されるか。なまじ見栄えのする女の子だから受付になってしまうわけだ。
 本人は花よりも実を選びたかったのに、こうして花の部分だけを見られたのが不運だったのかもしれない。しかし、それならば銀座のクラブへ就職した時点で「生身の私を見て」と言ってはならなかった。士道不覚悟につき切腹である。
 最後に、自分で根を生やして生きてみよう、と思ったエンディングも、花である。学生の時の「花ではなくで実」という気持ちは、就職してから消えてしまったのだろう。あるいは、学生の時はタテマエ(外見より中身)に縛られていて、実は美しい花としての自分を見て欲しいという潜在意識があったのかもなぁ。その潜在意識が、タテマエと衝突しながら、最後に伸びやかなポーズを取れるようになるまで、葛藤がありましたよ、ということかなぁ。今の年齢の私だから、彼女にも好意的に感情移入してみることができたが、若い頃の私だったら「なにをチチが見えそうな服着とんねん!」とか思ったかもなぁ(笑)。



 二本目:ジャングル トライアングル スクラムブル


 埼玉県に住む幼なじみ3人組の女子高生。子供の時はとても仲良しだった。今は・・・単なる数合わせてバーチャルワールド研究部に入ってるだけ。
 3年生の(多分)秋、この学校は倶楽部単位で遠足に行くことになった。行きたいところはみんなバラバラ。

 「お台場に行って、TV局にスカウトされるんだ」
 「渋谷109だったら、一日中たいくつしないっしょ」
 「中野ブロードウェイサブカルチャーの聖地!」


 バーチャルワールド研としては、みんなが行きたくない所に行くのがよい。ということで、「地元にあるところには行きたくない」「歩きたくない」「寂しいところには行きたくない」の逆、学校(上尾橘高校か?)の裏を流れている荒川の土手沿いに海まで歩いていくことになった。


 歩きながら、ときどきちょっとした言い合いなんかもしながら、夕方までかかって江戸川区付近までやってきた(葛飾ハープ橋よりは下流)。ずっと川幅が広くなった荒川。地元の水がどれかはもう分からない。自分たちもそうやってバラバラになっちゃうのかなぁ。だったら、海まで行けなくてもいいや。もう一息なんだけど、3人は走って帰るのであった。


<感想>
 見事に高校生ですねぇ。
 確かにこんな子いそうだなぁ。親の目で見ると、危なっかしい気もするけど、でもみんなこういう気持ちを通って大人になったんだろうなぁ。
 背伸びをしたり、やっぱり地に足をつけて歩こうと思ったり。気持ちが揺れるのもハイティーンの特権かもなぁ。
 だいたい、私の歳だと、1/3も歩く前に足がダウンするし(笑)。
 女の子なのに河原で基地を作る辺りは勇ましい。遊び相手に一人も男がいなかったとは思えんが、まあそこは突っ込むところではないんで。おマメちゃんはアイドルになろうと思っているのに、女三人でつるんで(男の蔭がなくて)、そういうところが根っこを切る前の女の子なんだよね。お父さんは見守りたい(誰がや)。



 三本目:紫陽花


 中学の同級生を訪ねてきた女性。紫陽花が咲いている。
 なぜ、あの頃好きだったわけでもない男のところに来たの?


 彼女は、3歳の時に母親に捨てられて、紫陽花園という施設で大人になったのだった。
 一方、男も悩んでいた。精神科医になったのに、自殺した母親の苦悩に気づけなかった。中学の頃は、紫陽花園の悪ガキにいじめられていて、紫陽花園に居た彼女のことなんか何も覚えていない。彼女は病気がちで、二年もダブっているから、同級生といっても男より年上だし。


 彼女は実は幽霊だった。不倫の末に命を絶ったのだ。しかし、なぜか、成仏できず、自分でも判らない理由で元精神科医の住む古い家を訪ねてきたのだった。


 ちゃんと生きなきゃ消えてなくなっちゃう。


 泣きそうな彼女の肩を抱いてみる。思わず唇を重ねる二人。
 「やっぱり、ちがうね」 恋愛感情は発動しない。
 なんにもこの世に未練はないはずなのに、どうしてここへ来たんだろ?


 ふと、紫陽花の歌を歌う女。途中から男が声を合わせる。


 あじさい、さい。さあ、さきなさい。
 あめがふってもいいてんき。みんなでさけば、いいてんき・・・ 


「この歌を知っている人に、初めてであった」


 女:紫陽花の歌は、物心付いた時には歌っていたらしいの。
   母から聞いたって言ってたんだって。
   捨てられた時に世話になった看護婦さんが教えてくれたわ。

 男:子供の時から母が歌ってたんだよ。
   だから僕も覚えて居るんだ。


 そうか・・・私たちは姉弟だったのね。
 そうか・・・母は僕を責めていたのではなく、自分を責めていたんだね。
 そうか・・・だから、私は成仏する前にここに来たかったんだ。


 私はひとりぼっちじゃなかったのね。
 僕は自分を責めなくても良いんだね。
 抱き合う二人。


 雨が降っても紫陽花は咲く。
 放っておいても紫陽花は咲く。


 初めて女は晴れ晴れとした顔になる。
 姿が薄れゆく姉。
 母さんに会ったら伝えて欲しい・・・
 弟が言い終わる前に、姉は消えていった・・・


<感想>
 前の二本に比べて、ずっと役者さんの演技がうまいと思う。女優さんは、ひょっとして今は西方さんと名乗っている人かな?
 屋外のシーンなのに、裸足で現れることの意味が、最初は分からなかったけど、こういうのもちゃんと伏線になっているんだね。
 「ちゃんと生きないと消えてなくなっちゃう」と女は言ったが、最後に弟を悩みから解放できたんだから、ちゃんと生きたことになるんじゃないかな。500年前の武士ならば「良き死に場所を得た」と言うところでしょ。だから晴れ晴れとした顔で消えてゆけたんだよね。
 一人じゃなかったんだ、と気づけるのは、弟を救った褒美なのかもね。


 3本の映画は、筋書きも設定もバラバラだが、私には根っこの部分で繋がっているように感じられた。


 生け花の女は、根なし草の自分をもてあましていた。
 高校生3人組は、根を切って大人になるのはもう少し後でも良いと思い直した。
 紫陽花の女は、根を切ったつもりが、一本だけ糸のような細い根が残っていた。



 他の作品(他の監督さんの作品)は紹介しませんでしたが、この3本が良かったのと、あとはやはり監督の年齢が上で、人生経験の差とか投入可能経費の差とかがどうしても出てしまっているんですよね。監督の主張がハッキリしているのも良かったし。
 他にも面白い作品はあったのだけど、途中でオチが見えたりしたのでね・・・