玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

マイナスサム社会

(以下、身分韜晦の目的で架空の身分を使用しています。私に想像力が足りないだけであって、私個人が右に傾いている訳ではないと念のため申し上げておきます)

 「客が悪い、店員が悪い、世のなかが悪い」と「大らかな社会は寛容の心がなけりゃ作れるわけない。」を読んで。



 久しぶりに准将閣下のお供で社用車に乗った。

 2時間程度の移動距離なので、准将閣下はいろいろお話しくださる。まあ、この閣下に限らず、上級将校は8割方いろいろお話しくださる。口数が少ないのは師団長閣下だけである。それはともかく、准将閣下の訓示は私に向けられる分には何もかまわないのだが、運転手に聞かせる話でないものが多かった。運転手が聞いていると思うと居心地が非常に悪い。私は気が強いように見られることが多いが、実は小心の部分も結構あり、こういう場面では非常に気になってしまう。

 今日、「客が悪い、店員が悪い、世のなかが悪い」を見ていて、自分の気持ち悪さが見事に説明されていると感じた。上級将校は運転手を(少なくとも運転中は)人間扱いしていないのである。この【人間扱いしていない】をもう少し穏便な表現に言い直すと、村の外の人だと思っている、であろうか。そういう扱いを受けることに慣れている(気分が乱されない)人だから運転手が務まるのであろうが、セキュリティの観点からは心配な私である。


 それはそうとして、コンビニのように会社としては全国展開していても、業形態として局所的ですむものは良い。全国展開+全国均一サービスが当然の業界だと、こういう「機能性」と「人情」の折り合いはどうやってつけるのだろうか。いや、つけているのだけど、外部から「他の地域とサービスレベルが違う」と言われた場合(註:【違う】であって【高い・低いではない!】)、どうやって対応したらよいのか悩むのである。
 こういうことを考えると、効率を下げるな、と言われる程度ならばともかく、間違った考え方をするな、と言われる場合がある。政治将校に言われるとこっそり反発するし、上級将校に言われると凹むのである。


 「大らかな社会は寛容の心がなけりゃ作れるわけない。」が象徴している状況は、幸せのレベルが下がっているなかで、みんなストレスが溜まっていて、ぶつける相手を常に探している、ということのように感じる。自分よりも弱い相手、反撃を受けない場所で、他人を(他組織を)スケープゴートにしないとストレスが解消されないような社会になってしまっている。それよりも、他人を攻撃してもその場で溜飲が(多少)下がるだけで、実質的に自分にメリットは来ない。こういうのって、ゼロサムでもなく、マイナスサムな社会である。今の日本が全体として不幸なのは、こうしてマイナスサム社会を招いているからではないか。


 合法的にスケープゴートを捜して、それを安全な場所から叩こうとする空気をよく感じる。車中での上級将校の話はそういう部分もかなりの時間があったのだが、我々の日々の生活全体がマイナスサムに向かっているのだとしたら、単に「スケープゴートを捜すな」と言っているだけではだめなのかもしれない。まるで、場代を支払いながら高いレートで賭麻雀をしているようなもので、凹んでいる奴からムシっても、その者が脱落すると「次はお前だ」状態になってしまうのであるが。