玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

pdf / 実印

 公式文書が pdf で公開されていると利用しにくいという話。


 事前に、そういう話を振るよ、と明確には言われていなかったので、「中身が一人歩きすると困るからでしょう」という何とも詰まらない解釈を示してしまったのだったが。
 実際には、変更されると困る文書を公開するときに pdf で出すんだよね。(一部の人には常識以下の話ではあるが、不思議に思っている人もいるようなので、一応続きも書いてみる)


 私は古い人間なので、よく既存のものに対比する。既存の、よく知られたシステムと同型対応(せめて準同型対応)が認められれば、説明がしやすいと感じる。pdf 文書は、アナログでは押印文書に対比できると考える。
 契約時に押印するのは、その契約の真正性をある程度補強するためだ。認め印でよい場合、登録した銀行印が必要な場合、実印でなければならない場合など、契約の重さによって捺印する印鑑は異なる。異なるが、いずれにしても、印鑑のランクに応じた真正性が文書に与えられる。(「真正性」という言葉が分かりにくければ、「原本性」あるいは「公証性」と読み替えてもよいだろう)


 pdf も、私の感覚では銀行印捺印レベルの文書と同程度の真正性を感じる。明らかにプレーンなテキストよりも真正性は高い。その文書は、変形して再利用する対象にはなり得ない(してほしくない)と提供側が考えているということだ。二次利用したい側が怪しからんと思うのはごもっともだが、pdf で出す側にも理屈があるのだった。
 「pdf はツールがあると変更できるぜ」という話は、この文脈では意味がない。印鑑だって偽造できるぜ、なんだからね。


 ところで、「商習慣から印鑑を廃止する」という話は、いまだ実現してはいないが、少なくとも30年前から聞いたことがある。これが実現すれば、上の話は論理性を失う。それでも「変更してはならない文書」の内容真正性を印鑑以外のものに頼るにはどうするか、という話は存続する。
 また、ここまでの話は、変更されても困らない文書までわざわざ再利用しにくい形式で出す理由にはならない。pdf で出すしかない文書が存在しうる話をしただけのことであって、再利用することが適当な文書であれば、編集しやすい形式で出す方が良いことは論を待たない。