玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

コクリコ坂から


 よかった。


 何が良かったのか、帰りの車の中でずっと考えていた。運転しながらなので、時々考えが途切れるのだけど、一番分かり易い結論は「余計な伏線がなかった」ということかもしれない。千と千尋の神隠しハウルの動く城、いずれも序盤に伏線を多数張るのに碌に解消しないまま終わってしまう。なので後半が薄いという印象になっていた。御陰で、遂にポニョは見なかったのだった。
 今回はそういう不必要な複雑さがなかった。


 私は辛うじて当時の景色を思い出せる年齢なので(横浜よりは神戸に近いが)、見ているだけで懐かしくて仕方なかった。子供の頃、夜、一人で布団に入っていると、時々プロペラ機が家のずっと上を飛ぶことがあったが、あの音を聞くとなぜかいつも涙が出てきたものだった。なんとも言えない気持ち。理由はない。いや、強いて言うならば、サイレンを聞いた犬のように、あるいは、灯台の霧笛を聞いた首長竜*1のように、延髄から反応してしまうのだった。今回も、そういう景色が随所にあって、意味もなく泣きそうになった。


 駅の改札で、駅員が鳴らし続ける鋏の音。72系電車のあの黒褐色*2。まだスーパーマーケットがなかった時代の、道路沿いの肉屋や魚屋*3。まだ自動計量装置がなかった時代の米櫃。徳用マッチを擦って点火するコンロ。100g20円くらいの、少し色が鮮やかすぎる気がするソーセージ(朝食で目玉焼きの下にいたやつだ)。道端に無造作に駐まっているオート三輪。タイルでも、モルタルでもない、羽目板の壁の家。書き並べるとキリがない・・・・


 私も風間家と同じくらい(あるいはそれ以上に)貧しかったから、俊の家も懐かしい臭いがする。もちろん、私が子供の頃過ごした家は今は跡形もない。


 高校は(まだ当時ほんのガキだった)私には判らない。あの雰囲気はかなりの進学校でないと出せないと思う。近いイメージは“学校群導入以前の日比谷高校”(庄司薫、赤頭巾ちゃん気をつけて)だが、比べてもあまり意味はないのだろう。私が単に思い出しただけのことである。


 そうそう、肝心のストーリーだが、別に語るほどのことはないように思った。原作をそれほど尊重したわけでもなさそうだし(おとしめてはいないようだが)、戦後すぐの動乱期にはいろいろあったはずだよな、というレベルだし。「出生の秘密」なんて大袈裟なモノ言いは横溝正史の小説あたりに任せておけばよい。


 それよりも、「上を向いて歩こう」というテーマが感じ取れれば十分ではないか。
 −良く判らない理由で俊が突然よそよそしくなった。でも上を向いて歩こう。−
 −好きになった人が実は血縁かも知れないと判った。でも上を向いて歩こう。−
 −両親はその昔いろいろあったらしい。でも自分たちは上を向いて歩こう。−
 そうしたら、帰る家が「安全な航行を祈る」とシグナルを送ってくれた。そういう話である。



【蛇足】
 最初、この映画を見に行こうとは思っていなかった。閑歳孝子さんのブログに触発されて、急に思い立って見に行ったのだった。そして、見に行って良かった、と本当に思った。ポニョを見て居らず、ゲド戦記もTVでしか見なかった私には「母性と父性」のような対比は(見終わった後も)思い至らないのではあるが。
 あと、私の祖父が商船三井の社員だった(祖父は1951年に戦後初の民間船乗組員として米国の土を踏んでいる)こともあって、余計に港町の景色がグッときたのかもしれない。

*1:レイ・ブラッドベリ萩尾望都

*2:昭和38年だと、三段窓の車両ばかりではなかったと思うが。あの三段窓は下から開くので、全開状態で転落死した子供がいたのだ。近鉄特急(奈良線)はあの時代に窓が上から開く方式で、子供心にも感心したのを覚えている。

*3:豚コマ400gが240円は高いと思う。牛肉でも100g60円で買えた時代だ。