玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

SNSの友情

 Facebooktwitter でも書いているように、私は友達とか相互フォロワーとかを余り増やさない方向で進めている。
 人付き合いが嫌いなわけではない。相互フォロワーさんの中には、私が匿名アカウントだった頃から実名で深い交際をさせて頂いていた人も少なくない。約100名ほどいると思われる相互フォロワーさんのうち、7割くらいの人とはそういう関係だと思っている。

 実は、気にし過ぎなのかも知れないが、相互フォロワーの書き込みを、長い間全て追いかけていた。友人達の反応は概ね「考えすぎだ」「暇人だな」といったものであって、自分でもそれは分かっていた。まあ、それでもそういう気持ちになる人と相互フォロワーになってきたつもりだった。

 知人を大切に思う気持ちに変わりはないのだが、体力的には深夜のフォローが困難になりつつある上に、アカウントを実名ベースとしたので流石に昼間もフォローできない。つまりは人並みになろうとしているだけなのである。



 SNS疲れ、という言葉があるようだが、私のようなことを続けていると疲れるのかもしれない。

 本来、どの人とどの程度仲良くするかは、相手によって千差万別のはずである。しかし、SNSは、友達と異邦人と敵(ブロックした相手)の3通りしかいない。これって、まるでO型の人間関係の模式図のようである。A型が多い日本人には合わないのではないか。

 そもそも、人間関係の濃さは連続的な値をとるものであるのに、SNSは友情を離散的な値に分けてしまう。それは、API を設計する上で仕方のないことかも知れないけど、離散化の陰で「ほどよいつきあい方」とするための工夫とか気持ちの持ちようとかが欠落してしまって、API に型押しされた友情になってしまっている人もいるのかな、とか思ったりした。



 幸い、私自身はSNS疲れとは無縁である。それは、相互フォロワーを少なめにした結果、周囲が皆尊敬できる良い人になっているからなのかもしれない。


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追加:フォローしていない人が悪い人、と言うわけではない。いちいちこういうことを断らなければならないところは、SNS疲れの要素ではある(笑)。

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追加2:その後、ちょっとしたことで、一時的にSNS疲れを起こしてしまった。現在はほぼ直ったが、それでもややアクセスは少なめである。