「オープンデータのライセンス:ODbLの背景と内容」勉強会
去る7月29日(日曜日)に、標記の勉強会に出席した。
勉強会の模様は Ustream で生中継されており、また、事務方を務められた @nyampire さんが twitter で随時テキスト中継もされたのであるが、Ustream の方は発言者が誰であるかは判りにくい状況であった上に、みんな早口で大量に話したため、さすがの @nyampire さんも全部中継することは難しかったものと考える。
私自身は、議論に集中するのに精一杯で、とても自分の発言(あるいは意見)を twitter に流す余裕がなかった。が、沢山発言した人間として、どういう意図で何を話したのかを、ある程度までは明示しておかねばならないかな、とも考える。ここに、あの日の発言内容を(可能な範囲で)再現してみる。
なお、以下のテキストは、発言順ではなく、私の発言の本旨を適宜まとめたものである。従って、あの場で発言しなかった内容も多少含まれている(が、何を考えてああいう発言になったかは判るようになっているものと考える)
著作物か、著作物ではないコンテンツか
- 著作権ベースのライセンスは、一般に著作物以外のデータに対しては適用困難である。
- 一方、著作物であるかどうか判断に迷うコンテンツは年々増加している。多くの解説書を見ても、「最終的には司法判断である」として逃げていることが多い。
- 司法判断が下れば、もちろん、それ以降は安心である。しかし、一般市民にとってこのような案件で公判を維持することは非常に大変である(手間、経費、能力全ての面で)。また、それまでの間は当該コンテンツの取り扱いが事実上差し止められることも考えられるため、ビジネスとしても得策ではない。
- データベースに格納されるコンテンツには、著作物もあれば、非著作物もある。これは極めて自然な話で、データベースの構築(データ収集)目的を考えた場合に、収集するべきデータが著作物であるかどうかは二次的な要因である、ということに過ぎない。
一般的な、DB 対象ライセンスのあり方
- DB自体は日本の著作権法では編集著作物の扱いとなりえるが、その場合も「データの配列などに創意工夫が見られる場合には」という但し書きがつく。
- しかし、ODbL の適用を検討しているようなチームにおいては、DB自体が編集著作物に該当するのかどうかが重要なのではなく、目的に沿ったコンテンツがDB化されていて、かつ、そのDBの利用がオープンであることが重要な筈である。
- すなわち、著作物性の有無をいろいろ考えたり、編集著作物としての著作物性を付加するためにDBの仕様を変更したりするような(無駄な)手間は好まない筈である。
- 例えば、著作権法による保護年限が切れた場合、その瞬間にライセンスの適用内容が変更になるのか、と考えてみても、著作権ベースのライセンスが最善とは言えないことがわかる。
- DBの価値は、コンテンツに著作物が含まれているかどうか(何割のコンテンツが著作物であるか)や、DB全体が著作権法でいう編集著作物の要件を満たしているかどうかでは決まらない。それらは二次的な価値でしかない。
- そうやって考えると、DBは「著作権法だけでは縛りきれない財産」として考える方が良い。特許法で縛られる特許に関するデータが入ることもあり得るし、意匠、商標、実用新案なども個別の根拠法を持つデータが入ることもある。
財産として考えた場合
- この場合の財産は、当然、無体財産になる。(ここでは、ウェブアクセス可能な、デジタルデータのデータベースを念頭に置いている)
- 無体財産の特徴として、次のような点が挙げられる。
- 利用者がどれだけ(複製物を)利用したとしても、原本は劣化しない。
- 利用に際して排他性が原則として発生しない
- (厳密に言えば、データベースへの過剰アクセス等により、一時的に利用できなくなる者が出ることはあり得るが)
- これらの条件は、一般の財産(有体財産)には見られない特徴であり、データベースを公開する場合には、こうした無体財産の特徴を意識してライセンスを検討するべきである。(ODbL がそのようなことを意識しているのかどうかは知らない。)
- 無体財産の利用規約としては、
- 当該財産の所有権はあくまで原所有者である。
- 利用者は、ライセンスが許す範囲において、自由な利用が認められる---(この「ライセンスが許す範囲」をできるだけ広く取れるように検討することが、今回の勉強会の目的であると信ずる)。
- 利用者は、加工物を営利目的で販売することは構わないが、単なるコピーを営利販売する権利までは認められない(と考える方が良い)。但し、原所有者の許可があった場合、原所有者に委託された場合などにおいては、この限りではない。
- 利用規約は、原所有者が利用者に許せる/許せない行為の範囲を記述したものである。それらの行為の合法性は、他の法令による。
- このように考えると、国有財産法や地方自治法とも比較的整合しやすいと考える。
- DBが著作物であろうとなかろうと、財産には相違ない(財産価値は、時価―市場価格―を勘案して推定することで良い)。その「財産」を所有者以外の者が利用する際に、一定の利用秩序を設けることで、できるだけ利用者の便を図り、利用が進むのがよいこと、と考える。
- 逆に、国有財産法や地方自治法との整合性を一定レベル担保しないと、行政の持つデータは出てきにくい可能性がある。← @nyampireさんが「聞き取れない」と述べられた付近。
フェアユース
- 米国のフェアユースの考えが、日本ではそのまま定着できなかった、という渡辺さんの話は残念。
- ただ、日本流に、「フェアな利用はできるだけ自由を認められるべき」という考え方には賛同する。
- 現実には、利用者の立場と供給者の立場は異なる。供給者の立場を無視するとうまくいかない。実際、供給者の方が(まだ)力が強い。
- 利用者も、いつかは供給者になることがある。自らが供給するデータの経済価値が大きければ、供給者の立場として権利を守りたくなるかも知れない。
- だからこそ、利用者の自由利用権利と供給者の市場コントロール要求のバランスが重要になる。
- この部分は、2年前の日本国際地図学会「地理空間情報の著作権」シンポジウムでも述べたこと。
- ただし、コントロールが強い必要はなく、できるだけ自由利用の幅が広くあるべきと考えている。自由利用が新しい社会の活力を生む時代になってきているからである。
(この考えは、多分に観念的であるため、必ずしも万人の支持を得られるとは限らない。だからこそ、法制的に反対者にも納得してもらえるレベルのものを用意したいところ。)
ライセンスの底に流れる考え方
- CCには根本理念がなかった、という話が出たが、ODbL を採用するにしても、日本で別の(オープンな)ライセンスを採用するにしても、次のような考え方は必要であろうと考える:
- この2点が担保されていれば、利用者と供給者のバランスは一定保たれるものと考える。
- このほか、
DBに格納されている個別のデータ
- 個別のデータには、著作物もそうでないものもある。
- 個別のデータが著作物の場合、その「個別のデータは」は、DBのライセンスとは別途、著作権法で保護される場合がある。
- これは、個別のデータが個人情報の場合に、その「個別のデータ」がDBのライセンスとは別途、個人情報保護法で保護される場合があるのと全く同じである。
- DBに投入した途端にDBのライセンスのみに従う、ということにはならない点に注意。
- SNSの利用規約を守っていても、個人情報保護法や著作権法に違反した書き込みは可能である。→ 犯罪者の家族の個人情報を晒しあげる輩が存在している。
- DBに違法なデータが格納されている場合、DB管理者はその違法なデータを除去(非公開化)する義務が発生するかも知れない。しかし、その場合であっても、当該データをDB管理者が自らDBに投入した場合を除き、DBに違法データが含まれていること自体について、DB管理者は責任を問われないものとするべきである。
- (この部分は微妙。DB投入をデータロンダリングに使われた場合、その悪質さの度合いによって、世論が動く可能性があるため。)
こんな感じです。はてなダイアリーは記法の関係で書式がちょっと思い通りにならないのと、あの勉強会にご興味がない方に長時間お見せする予定がないのとで、この記事は最長でも1ヶ月程度以内に削除します( Facebook には掲載し続けます)。