玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

歳だとは承知しているが

 この2、3年で視力の低下が著しい気がする。近点距離も低下している。運転用の眼鏡では仕事にならない(近くが見えないので)。仕事用の眼鏡では危なくて運転できない。

 所有する書籍の量を絞り込もうと思っていたが、見ない本が納戸の奥から数十冊単位で出てきたりする。数ヶ月以上昔に、同じことを考えて緊急性の低い書籍を納戸にしまったのだった。しまい込んでいることを気づかないような書籍は持っている必要がないのではないか、と思ったりもするが、HDDにある情報は納戸にある書籍と同じである。メインメモリに展開できる(常駐する)知識の量は限りがあるのだし。それでも、大容量のHDDを持つことと、そこそこの容量のSSDに換装することとは損益分岐点がかなり変動してきているから、書架に必要最小限の書籍を出しておくことは重要なのである。

 その意味では、できるだけ広い部屋に住んでできるだけ沢山の書棚を用意すれば良いようだが、脳内バスの帯域幅に上限があるのだから、限度以上の書棚を持っても仕方ない。若い時の自分よりも今の方が能力が上であるのは自分的には自明だが、計算能力は若い時の方が高かったのも事実。

 これからも困らずに生きていくためには、最低限度の知識をできるだけ整列的に脳内に配置して、できるだけ効率よく動けるようにするのが大切なのかもしれない。

 しかし。本当に偉い人はこんなことを考えずにどんどん吸収しどんどん出力しているようでもあり。結局私はその程度なのかもな。