玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

昔を思い出す

 引っ越しの際に不要な物を大量に捨てたつもりだったが、当日直前になって選り分ける時間が足りなくなった時点で、残った物は一緒くたに新居に運び込まれることとなった。
 少し落ち着いた今、思い出したように選別→捨てを行っている。


 GWに ScanSnap を買ったので、昔の写真とか文書とかは、あまり迷わず廃棄できるようになった。平成3年の年賀状100枚余りとか、昭和58年に1週間旅行した時の写真200枚とか、持っててどうするねん的なものも少なくなく、これらを順に全て廃棄することで、まだ書棚がある程度空きができるようだ。


 年賀状を読ませていると、古い時代の物ほど紙詰まりを起こしやすい。平成初期は、年賀状の写真プリントが始まった頃だったのだろう、やたらと写真入り年賀状が多い。しかも、当時の技術ではハガキの倍は厚い紙にプリントしているので、スキャナの紙送りがうまく働かないのだった。
 これが平成10年頃になると、家庭用プリンタでも年賀状印刷用の高性能カラー機が普及しているためか、無駄に厚い紙は1枚もない。こういうところでも技術の進歩を地味に感じ取ることができるようである。


 辞令も、昔はB5サイズだったし、ところどころ薄い紙のものがあったりして、不思議である。中に1枚だけA4よりも一回り大きいものがあって、これはどうしても ScanSnap で読めない(A3まで読める機種ではないので)。いずれにしても、感傷に浸るのは今日一晩だけにして、これらは全て廃棄することとする。公文書だって保存期限があるのだ、これらの文書は大半が保存期限切れなのである。


 10年ほど前の、人生で最も忙しかった時期においては(いや、正確には 仕事量/能力 の比が最も大きかった時期においては)、私生活において何一つ前向きなことをした記憶がない。自宅に届く連絡文書のたぐいもかなりのものが未処理だったりしたようで、それ以前の文書の保存状態に比べると圧倒的に保存状態が悪かったりする。まあ、死にかけて1ヶ月近く入院したこともあった時期ではあるが。


 仕事場で元気が出ず、オフでは元気の出るタイプの鬱があるそうだが、私は長い間オフでは半分死んでいるような元気の出ない暮らしを送ってきた。ここしばらくで、やっと血の巡りが良くなってきた感じがする。あのころは、全ての生命エネルギーを仕事に吸い取られていたのだろう。まじめだったのではなくて、その程度の能力しかなかったということではあるが。こうして、オフでも元気が保たれる体調になってきたのだから、せめて今後はずっと元気を保ちたいものである。