玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

研究の功罪

 本日発売の将棋世界梅田望夫氏の記事から。


 名人戦第二局、互いに守りを放棄して一直線に相手の囲いを破壊しあった恐ろしい将棋。封じ手直前の後手▽3七歩を見た時、名人が一日目で敗勢に陥るとは思えず、さりとて先手がどうやって凌ぐのか理解できず、気が遠くなりそうになったのを覚えている。▲5三桂成、▽3八歩成は、ペーパー2段でしかない私の棋力では、まっすぐ先手の攻め合い負けにしか見えなかったのだった。

 「あの局面をどこまで研究していたのか」と尋ねた梅田さんに、三浦八段は「指し手の符号を言い合って(盤や駒を使わず言葉だけで将棋を指して)▽5二歩まで進んだ局面で後手が良いよね、と話したことがある」と答えたのだった(表現は、意味が変わらない範囲で適宜私が意訳しています)。しかし、実際には、「(そこで)▲6一龍と指されてみて、わからなくなってしまった」のだった。

 梅田さんは、これを聞いて

 なるほど、「研究の功罪」ということがあるのだな、と私は思った。「言葉だけの研究」には切実さが伴わぬことがあり、先入観という魔物を思考に忍び込ませる隙が生まれてしまう。そう三浦は語っているのだ。

 と書いている。


 シニアマネージャクラスになると、自分で現場に出る機会が減る。多くの部下が持ってくる報告を聞いて、つたない説明から部下が言いたいことを最大限好意的に或いは最大限本質を抽出しながら聞き取り、それで判断を下すしかないことが多い。
 しかし、それで常に正しい判断が下せるかというとそうはいかない。本当は分身の術と時間圧縮の術を使って、自分が部下とほぼ同じ経験をしてみないことには、確実な判断ができない。そういう気持ちに駆られるほど判断に迷うことが月に何度かある。(部下には、それがどのタイミングなのかは見破られていないと思うが)


 経験を積んで、その場面では標準レシピはこう、と直ぐに思いつくことは多い。しかし、レシピ通りに仕事を進めてみたらうまくいかないということも少なくない。しっかり考えて、キチンとペーパーにまとめて、自信を持って説明しても、相手の理解のチャネルが異なるために、まったく受け入れてもらえないこともある。


 ボスの判断が、そういう理由で違っていた場合もあり、モチベーションを下げないために通常の3割増の気力と体力を2年間要したこともある。あのときは、ボスの判断を恨んだものだったが、「研究の功罪」という五文字を見て、ああ、そうだったのかもなぁ、と思った。


 自分も、誰かのモチベーションを下げていないか心配である。