玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

5月3日の写真(その1)

 写真をクリックすると、大きめの画像が表示されます。撮影時刻順に並べています。北から順に撮ったので、写真の配置も北からになりました。
 iPhone は撮影時刻、経緯度、標高を記録してくれますが、時刻はともかく、経緯度と標高は撮影場所によっては大きな誤差が発生します。このため、経緯度は信用していません。複数の地図類(国土地理院の地形図、MapionGoogle の写真)で場所を確認してから記載しています。まだ自分の記憶が残っていますので、記述している場所の精度はそこそこ保証できます。




野田村の十府ヶ浦で撮影。防波堤が所々破損していて、建物は流出している。奥に積み上がった瓦礫が見える。海岸の松林が相当倒されている。


ほぼ同じ場所で北向きに撮影。防波堤はこちら側も所々破損している。


ほぼ同じ場所で西北西向きに撮影。手前はもともと水田だが、津波のせいで水田には見えなくなっている。瓦礫が遙か奥まで点在していることが分かる。


野田村の玉川地区で北向きに撮影。海岸から一定の高さまで変色している。これが津波の高さを表しているものと推定される。


同じ場所で北西向きに撮影。小さな漁港の防波堤が壊れている。三陸鉄道北リアス線は十分高いところを通っており、橋脚もしっかり作られているようで、被害はない模様である。


譜代村の水門をすぐ下流側から撮影したところ。一見健在に見える。

同じ場所で河口方向を向いて撮影したもの。道路標識が倒れている。

水門を上流側から撮影したところ。橋桁が崩壊している。地震のせいなのか、津波のせいなのかは確実ではないが、おそらく津波のせいである。


水門の上流側。道路の手すりが流失していることが分かる。しかし、立木は健在であり、水門が津波を大きく食い止めたことが分かる。


水門の構造物が破損しているところ。もともと何があったのかは不明。


水門を上流側から見たところ、先ほどの写真の拡大に相当。木の状況、堤体に上がる階段の手摺の損傷状況などから、越流したことは間違いないことが分かる。落橋も津波のせいだと推定できる。


水門を下流側から撮影。階段の踏み石が全て流失している。上流側にいても、あの踏み石に直撃されたら即死であろう。怖っ!


譜代村、大田名部漁港の防波堤、南向きに撮影。内側に被害が見られない。津波を完全にブロックしたことが分かる。赤く見えているのは水門。


同じ場所、防波堤の外側。もちろん津波にやられている。


同じ場所、防波堤の内側、北向きに撮影。堤体上部の手摺が健在で、波が来なかったことがよく分かる。

大田名部漁港から500m程東、2つめのトンネルを抜けて橋を渡ったあたり。海岸の道路にはこういう標識が何カ所も設けられている。この標識の標高は約35m。

標識を見上げる地点で海の方を向いて撮ったところ。本当にここまで津波が来ることを想定しているのかな。まあ確かに綾里の38mよりは低いけど。

田野畑村明戸キャンプ場の北側、県道44号が谷に沿ってヘアピンカーブになっているが、その東側付近から東南向きに撮影。防波堤が流失して向こう側まで平らな砂浜が見えている。

上の写真と同じ場所から南向きに撮影。松林が全て流失しているのが分かる。

同じ場所から南西向きに撮影。道路脇の手摺がぐんにゃり曲がっている。

同じ場所から西向きに撮影。はるか右奥まで瓦礫が点在している。

同じ場所から東向きに撮影。この場所は下り坂の出口。後方に津波浸水想定区域の看板が見える。浸水した形跡は、確かに看板よりもやや下(手前)までである。

田野畑駅南方800mの平井賀トンネル南口付近。JRと県道の橋桁が流失している。県道は、手前(山側)に新たに作り直してある。左端にレールが見える。

同、先ほどよりも右側を撮影。県道は一部残っているが、JRは跡形もなくなっている。

同、破壊された県道の上からトンネル出口を北向きに撮影。流失した橋桁と曲がったレールがよく分かる。

同、西向きに撮影。新たに敷設された県道、その向こうに無造作に転がるJRの橋桁が見える。

同、南向きに撮影。第二島越トンネル北口が見えているが、このトンネルは標高20m以上ある。盛土も橋桁も一体どうしたの状態である。

橋桁その1。本来の位置から優に30mは離れた場所。

橋桁その1のアップ。気持ち悪いひびが一杯入っている。どういう力の掛かり方をしたのかな。

橋桁その2

橋桁その2、別の角度から。流されてきた距離が分かるが、これだけの重量物が・・・・