玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

5月3日の写真(その3)

 宮古市街は写真を撮りませんでした。田老の手前で地図注記が煩雑だったために迷って引き返し、かなり時間をロスしてしまっていること、また、宮古は全体に人の姿が多く、路上で気軽に停車したりカメラを構えたりすることがはばかられたこと、などの理由で素通りしてしまったのでした。
 ということで、宮古市街から少し南に下がった津軽石駅付近から写真は再開されます。

津軽石駅すぐ南側で撮影。JR山田線の気動車が脱線している。線路上に土砂が堆積し、バラストが見えなくなっている。

 この付近は線路と平行に津軽石川が北流している。津波はこの川も遡上したかもしれないが、水門の手前で既に堤防を溢流し、そのまま市街地を押し流したのと見られる。川の堤防上に国道45号が通っているのだが、国道は完全に通行が確保されており、乗用車だけでなく大型車両も多数通行していた。鉄道に比べて国道の被害が小さい(既に完全復旧している)のは、津波が堤防を溢流したのではなく、最初から堤外を遡上したからだと考えられる。ちなみに、この津軽石川河口付近を空中写真で見ると、JR山田線の線路が広い範囲で消滅しているが、現地では線路跡に自動車の轍跡が認められた。被災直後は堤防上の国道45号が利用できず、線路跡を利用して移動したのかもしれない。


同じ場所から南向きに撮影。鉄道信号は消灯している。建物の被害は大きくなさそうだが、もちろん床上浸水を受けている。実際には「取壊可能」と書かれた家も少なくない。

大槌町。途中も山田町(陸中山田駅付近)とか吉里吉里町とか結構被害が大きかったのだが、大槌まで止まらずに行くことにしていたので停車も撮影もせずにやってきた。

ここは今までとは異質の空間。まず、もう2ヶ月近く経過しているのに、臭いが強い。瓦礫の処理も(ここより北と比べると)遅れが目だつ。それだけ被害が大きかったということだ。それでもここで持参した昼食をとりましたが。


大槌町周辺は土砂崩れ地形が目だつ。北東方のこの山肌も、今回の地震で崩れた訳ではなさそうだが、土砂崩れ地形に見える(私は地質の専門家ではないので、確信を持って言えないのだが)。

役場西北方にある城山の頂上すぐ下付近から撮影。高い防波堤が見当たらないこと及びコンクリート製の建物以外が残っていないことが良く判る。ここからは【遊覧船はまゆり】は視認できない。

先ほどの写真の右側。この写真の左端に見えている崖状の場所は、採砂場のようだ。全体にあまり固結していない砂状堆積物層に見える。崖になっているのは、すぐ下に小槌川の流路があるためで、小槌川の蛇行に伴う浸食で崩落した地形なのではないかと推測。

城山の山頂から北東方を撮ったもの。木の生え方がいびつで、それが土砂崩れ地形なのかと思わせた。

同、北西方を撮ったもの。杉林の一部が褐色に変色している。病気?花粉?

城山の遊歩道。階段、左右の手摺がいずれも焼けてなくなっている。避難した人たちが暖を取る為に燃やしたのか?それにしては左右の木々は燃えていない。ちなみに、手摺は木製ではなく樹脂製。なので、あまり燃えなかったのかも。

遊覧船はまゆり。民宿【あかぶ】の屋上に漂着している。船底の標高は推定11〜12m。船舶の喫水を考えると、津波の波高は15m程度はあったものと推定される。奥に見える防波堤の上面が船底よりもずっと低いところに見えており、防波堤が役に立たなかったことが良く判る。

民宿【あかぶ】と遊覧船【はまゆり】。モニュメントとして残せという声があったやに聞いているが、遊覧船は明らかに前方に傾いており、早晩転落するものと推定される。余震が起きた場合に民宿の外壁が破損する可能性と併せると、船舶を撤去するという判断は妥当だったと考える。


 ちなみに、この【遊覧船はまゆり】、本当は前日に撤去されるはずだったのだが、前日は強風のため危険とみて撤去が延期になり、この写真を撮ることができた。しかしこれを「幸運」と呼ぶなら不謹慎のそしりを免れないであろう。


JR山田線。橋桁は消滅。盛土の頂部まで瓦礫が漂着しておいる。線路の標高は15m以上。

同じ場所で少し左側を撮影。橋脚が上流側に倒れているのが判る。橋脚の根本は破断面ではなく、また、基礎が見当たらないことから、鉄筋のみで地面に固定していたことが判る。すなわち、施工方法が不適切だったことが判る。

同じ橋脚を東から撮影したもの。これより西側は橋脚の位置も定かではない。もとより橋桁は不明。