玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

5月3日の写真(その4)

 大槌町を出て以降の陸前高田市までのものです。すぐ南の鵜住居地区も大きな被害を受けていましたが、本日中に陸前高田を見る予定としておりましたので、写真を撮影せず通り過ぎました。最初の写真は鵜住居地区から低い峠を越えて両石地区へ入る途中からになります。5月3日の写真は、これで全てです。


昭和海嘯碑。この石碑の上の手摺が曲がっているということは、昭和三陸津波の時よりも波高が高かったということ。今回の波高は植生がはぎ取られているあたりまでであろう。石碑の位置で標高は約20mである。

先ほどのすぐ南で南向きに撮影。実は、先ほどの石碑が撮影できたのは渋滞の末尾だったから。JR両石駅の東側で国道45号が周囲の土地ごと海没しており、緊急迂回路も交互片側通行になっていた。そのため、信号待ちの列が1kmほどできていたということ。


 釜石も結果的に通りすぎることになりました。トンネルを抜けた先が高架で、市街地南部まで運ばれてしまったことと、高架から見た限りは大きな建物が比較的よく残っており、津波被害は最悪ではないものと思われたためです。


釜石の南、唐丹(とうに)地区北東にある【測量の碑】。明治三陸地震津波の際にここまで波が来た、という趣旨の文字が書かれていたが、文字盤がかなりはぎ取られている。左側の2基の石碑は流失。石碑位置の標高は12-15m程度と推定。


【測量の碑】の前で南東向きに撮影。中央から左に防波堤があり、津波が溢流したあとが見られる。防波堤は【測量の碑】から高さを決めたはず。その向こうは崩壊地形で、山肌に倒木が沢山見られることから、今回の地震で崩れたものと推定。


同じく西側を撮影。針葉樹が植林されていない谷筋は、いずれも過去の崩壊地形のように見える。大きな地震が発生する都度、大規模な土砂崩れが起きていたのではないか。大槌町もそうだったが。

大船渡市街、盛駅三陸鉄道は自分たちのことを【さんてつ】と呼んでいるようだ。営業再開のめどは立っていないが、負けないぞという気持ちが伝わってくる。

大船渡駅南方400m,野々田地区で。盛駅付近はまだ標高が高かったが、そこから南に下がるにつれて津波の被害がどんどん大きくなる。このあたりは壊滅的である。

大船渡中学校東方、魚市場の前付近で撮影。このあたりの線路は流されておらず(ここから北はダメだが)、気動車も脱線していないようだった。

先ほどの場所から約500m南、カメイ大船渡給油所付近で撮影。海面の高さが地面と殆ど同じになっている。

海岸に近づいてみたところ。写真ではやや判りにくいが、左側の丸太の外側に岸壁が水没している。

こんな感じ。このまま秋になって台風が来たらひとたまりもない。

少し南下。市街地も冠水している。撮影時刻は満潮時刻と比較的近い。

下平地区付近。道路脇に大きな船が打ち上げられている。通行止めになっていないので、直ちに倒れることはないのかも知れないが、あの横を通ることになるのか? ちょっと怖いかも。

船の脇を通り過ぎて振り返ったところ。道路奥の左に少しだけ船尾が見えている。実は、船も気になったが冠水エリアの水深も20cm位はあり、通行していて気持ちが悪かった。

陸前高田市南部の雇用促進住宅。4階が完全に水没した形跡が見られる。

同、拡大。実は5階のベランダも破損しており、アルミサッシの掃出窓の下側のガラスがないのがわかる。すなわち、この場所では5階も床上浸水したものと推定される。周囲の木造住宅はひとたまりもなかったろう。

同じ場所で、北東方を撮影。更地になっている。中央付近にJRの橋桁が傾いて見えている。

同じ場所で西北西の方角を撮影。雇用促進住宅の西側は大きなショッピングセンターが2軒あったようだが、跡形もなく消滅している。

市役所北西方、陸前高田第一中学校西側付近の国道45号から東向きに撮影。バイクの人の左側奥に【復興の湯】という手書きの看板が見える。地元の人向けの臨時の風呂場らしい。

市街地北方、十日市場地区付近。左手に大船渡線竹駒駅が見えていなければならないのだが、跡形もない。