玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

移動経路概略



 移動経路(うち、現地までの往復ルートを除く)は、おおむね上記の通りです。上記の図は、左下のアイコンをご覧頂ければお解りのように、国土地理院電子国土Webシステムを利用して作成しました。地形図上でトレースをすると background で xml データが生成される形式の、やや primitive な手法でデータを作りました。
 iPhonefoursquare なども使わず、アプリが現在位置を利用するのも許していないので、このような原始的なことになっているわけです。GPSロガーはそのうち使うと思いますが、それは能動的に座標を取り出せるからなんですね。


 それと、



の右下のように、現地の道路状況に応じて本来ならあり得ないルートを通っていることがあります。これは、震災前に作成された地図からは決して生成されません。また、GPSだと切り立った崖の下とか、DOPの悪い場所ではそれほど精度が出ないと思いますので、まあトレースしたわけです。国道45号、中心線よりも下側を赤い線が通っているのは、一応、左側通行を意識したからなんですね(変なところだけ拘ってる)。


 XML のファイルは4万6千行くらいになってしまいました。1.1Mbytes あり、最初からこんな分量になると判っていたならば、もう少しエレガントな方法を考えたかもしれません。それと、電子国土に備え付けのツールは、作ったアークを編集する機能が極めて貧弱なので、さすがに編集は往生します。最初の1時間だけ、秀丸エディタで開いて座標値を直接書き換えたりしましたが(あほ)、さすがに諦めて、shape に変換して QuantumGIS で修正しました。まあ、要するに私の手持ちレシピが貧弱だったということです。



 陸前高田から一旦経路が内陸に入っていますが、これは夕刻宿に向かったからですね。あのあたりでボランティアでもない私が簡単に沿岸部の宿を取れるとは思えず、内陸で探したわけです。ちなみに、JR東北線石越という、普通しか停車しない駅の近くの宿です。


 翌日は再び沿岸部に向かっています。陸前高田市の市街地西端を流れる気仙川に架かる橋は不通なので、ここで内陸に向かい、翌日はいきなり気仙沼へ向かったわけです。余談ですが、気仙川が気仙沼ではなく陸前高田を流れているのは変ですよね。
 宮城県岩手県よりも被害が大きかったのですが、これは地形条件もあるなと思いました。全体に土地の起伏が少ないので、ある程度海から遠くても被害に遭っているのですね。なので、翌日の走行経路は少なめです。もっとも、翌日は昼で切り上げて帰路についたのでしたが。