玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

5月4日の写真(その2)

 ここからは気仙沼市街地から南下して南三陸志津川)までの写真です。5月4日分の写真はこれで全てです。
 写真を撮った場所に偏りがありますが、そもそも被災者が多数近くに居られる場合は撮影を自粛していますので、どうしてもこういうことになります。その代わり、市街地ではボイスメモに感想を口述している場合が多いです。ボイスメモは運転中でもある程度操作できますので、今回は結構重宝しました。後で聞き返すのは大変でしたが。
 また、こうして振り返ると、改めて自分に鉄の血が流れているのが分かります。

<写真はクリックすると大きいものが開きます>


市街地から国道45号を南下して、本吉町大谷付近で南向きに撮影。左手の岡が明神崎、右奥が舘鼻崎。津波は、前方と左方の両方から来た形跡がある。


同じ場所で北西向きに撮影。この付近の標高は概ね10mなのだが・・・・

同じく東向きに撮影。土台のみを残す家屋。無残である。

同じく北東向きに撮影。
iPhone内臓GPSは、緯度で5秒近く(約150m)違う値を返してきている。上空視界は開けているのに。

少し南下して、本吉町二十一浜地区。海は見えないが、前方左奥。右手の小川沿いに遡った津波が、左手の家屋を根こそぎ持って行っている。

ほぼ同じ場所から。

先ほどよりももう少し海側で。中央上部、頭上約10m付近の木立に畳が引っかかっている。この地点の推定標高は5mほど。

同じ場所で反対側。しばらくすると人が来て、瓦礫の整理を始めた。

同じ場所で海を背にして。電柱も倒れているのが判る。

歌津町。JR歌津駅の南西方500m付近。JRの橋梁が橋脚ごと消滅している。上流側に倒れている橋脚が1本認められる。また、中央奥の塔状建物の左側にレールらしきものが見える。

同じく、JRのトンネル出口付近を拡大。線路の標高は少なくとも10m以上あるのだが、瓦礫は盛土の上まで散乱している。前の写真と合わせると、津波はそれよりも2〜3mは高かったであろうことが分かる。

同じ場所から伊里前川上流方向(北西方)を撮る。瓦礫は遙か奥まで散乱しているようだ。

同じ場所から東北東方向に撮影。海が見えない場所で標高が10mもあれば、津波を想定するのは難しかったろうと推定。

墓地の下半分は墓石が流された形跡が認められる。手前の白い建物の左にあるコンクリート製の構造物は、JRの橋桁かもしれない。

ほぼ同じ場所から、国道45号南西方を撮影。電柱が倒れており、漂流物が木に引っかかっている。この漂流物の高さは推定14-15m。

倒れている道路標識と、生き残っている電柱の違いは何だろう。

考えられることは、道路標識の方が受ける水圧が大きかったことくらい。すなわち、道路標識は水没してから倒れたということ。

清水浜地区。JRの盛土が削り取られている。上流側から撮影。

盛土が流される圧力でも耐える橋梁もある。工事を請け負った会社の施工能力の差か?

ほぼ同じ場所から南東方向を見る。建物は土台を残すのみ。上空から見ると、防波堤も破壊され、内側の土地が大きくえぐられて水没しているのが分かる。

下流側から橋梁を見たところ。中央に白く見えているのは,盛土に漂着した瓦礫である。JRの惨状とは裏腹に、国道は路肩が踏み固められている(もちろん震災後)。

上流側から駅の付近を撮影したもの。盛土がここまで削られているのは、瓦礫があるためである。単なる流水よりも威力が大きいと考えられる。津波が怖いのはこの点であり、人が飲み込まれると泳げるかどうかに関係なく瓦礫で怪我をして落命するのだと聞いている。

志津川町の防災対策庁舎。津波で鉄骨を残すのみとなっている。

志津川中学校遠景。YouTube で配信された動画の撮影地。

YouTube の動画とほぼ同じアングル。但し、校庭は仮設住宅が多数建てられており、被災者感情を考慮して登らず。一段下の通学路から撮影。