玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

何を書くのか

 初日ですので、すこし大上段に構えて、何を書くのかを書いてみます。

 人間の記憶にはムラがあります。覚えているつもりでも出てこないこともありますし、他人にあきれられるほどハッキリ覚えていることもあります。ただ、自分が何を覚えているかは知らない間に変わってゆきます。知っているつもりのことがあって、その上に毎日の新しい情報を受け入れて、新しい気持ち、新しい考えが浮かんできます。新しい気持ちや新しい考えは、自分の中に地層のように積もって、「知っているつもりの自分自身」を少しずつ変えていきます。
 この Blog は、そんな変わりゆく自分の瞬間を切り取って保管してみたいと思って立ち上げてみました。

 他の人が読んで面白いとは思えないことも書くと思います。書かずにおれば、そのうち自分の中でも忘れてしまうでしょう。自分の人格は、そのように拡散してしまいます。私はB型なので、拡散したまま新しい道を進めば良いのですが、時々立ち止まって、昔の自分を見て、フォームの修正をしたくなることもあると思います。写真やビデオ画像と同じように、あの頃の自分を文章で切り取るんだ、と言えばちょっと格好つけすぎでしょうか。


 自分を切り取るだけならば、紙の日記を持ち歩けば十分という考えもあるかも知れませんが、Web 上の見知らぬ方が書いておられることも、自分の入力になります。自分は人間の幅がさほど広くないので、外部の刺激は狭い帯域のみ受け入れることになりますが、そういうフィルターをかいくぐって届いた刺激は、それに対する自分の反応とともに、自分にとって記録するに値することになるかもしれません。Web 上で書くのは、そういう入力を短い時間で自分の外部記憶に留めておく上でも楽です。


 論文を書くわけではないので、実名で高いレベルの文章を書くことにはならないと思います。自分の入出力が高いレベルにあるとはとても思えませんし、Blogに書きたいことが組織の論理に合うとも限りません。組織の論理に合わないことを書くのであれば、業務ではないので、実名で責任を取れる文章が書けるとは思えません。


 堅苦しく、また、読み手のことを考えていない文章を初回から書いてしまいましたが、自分はずっとこういう人間なのだろうと思います。