玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

位相空間の入り口(回想)

 知人にちょっと触発されて、なぜ自分がアホだったかを思い出してみる。


 数学科の自分はさすがにε-δでは躓かなかったが、理系でも数学が苦手な学生は1年生の時に結構ε-δでつまづくらしい(当時の自分の周囲には、そういう人がそこそこいた)。一方、ある程度のレベル(研究者になる、ではなくて、仕事で最低必要な程度まで理解するレベル)になろうと思うと、位相空間の初歩を学んで、ε-δがその特殊な形に過ぎないことを理解しなければならない。こんなのは、数学科の学生に取っては初歩である。この程度のことは、多くの教科書の導入部分に書かれているが、これはちゃんと学んだ人に向けて「この本では、位相空間の知識はこの程度までを使います」という宣言でしかない。宣言文だけ読んでも位相空間は理解できない(当然だ)。私は、最初の頃、この簡単な事実が見えておらず、結構遠回りをした気がする。


 遠回りをした原因の一つに、高校の数学にある意味慣れすぎたことがある。高校の数学では、極限操作は単なる記号操作でしかない(つまり、代数的な操作だ)。しかし、ある空間(関数空間だったり、数空間だったり、集合属だったり)における要素の列の収束は、その空間にどういう位相が導入されているかで変わりうる。こういうことも、1年生の間は全く理解できなかった。何の疑問も感じなくすっと理解できるようになったのは、多分3年生になってからである。出来の良い学生だと、1年生の間に(あるいは高校生の間に)理解する者もいるのに。


 高校の数学だと、登場する空間はもちろんユークリッド空間のみであるので、位相も距離も自然に備わっている。恥ずかしい話だが、自分は、距離が定義できない位相空間の一般型がなかなか頭に定着しなかったような気がする。


 位相空間の理解が急に進んだきっかけは、Lebesgue 積分である。測度論の入り口で、区間塊から生成される Borel 集合属について学んだ直後に、あ、位相空間の公理と似てる、と気づいたわけだ。Borel 集合属は距離空間(であるユークリッド空間)上に定義されているので、理解を妨げる要素が少なかったわけだ。


 自分には、こういう【後になってみたらたいしたことではないのに、その当時は大きな障害】が結構あったような気がする。しかも、当時の自分には何が障害なのか見えていないことが多かったような・・・・