玄天黄地

学生時代、箸にも棒にも掛からなかったアホの子が、やっと普通のアホになれるか?

Let's Geo-Cooking

 今月号の GIS-NEXT 記事(GISNEXT×LD)で、素材を料理したものが地図で、GIS は料理器具という石川剛さんの発言がある。これについて少し考えてみた。


 上の発言における「素材」とは、あの座談会メンバーの間では自明のものなので、省略されている。ランドスケープデザインの研究者や、仕事にLDを用いている人にとっては、「素材」とは、景観の資料であったり、都市計画や造園におけるアイデアであったりするのだろう。それを、素材の邪魔をしないような地図(ここでは「素材の邪魔をしない」が重要なので、「基図」と呼ぶ)の上に表現する訳だ。調理道具である GIS も、土台となる基図も、素材を生かすための手段にはなるが、決してメインにはなり得ない。そう考えると、基図を石川流で料理にたとえると「水」になるのではないだろうか。


 この「水」はひとりでに湧いてくるものではない。国や市町村が工事や都市計画などの目的で整備する基準点や地図が集約されて、たとえば基盤地図情報のような形で供給されているわけだ。その意味では「国や市町村が工事や都市計画などの目的で整備する基準点や地図」は「水源」と見ることができる。さまざまな水源から湧いてきた水が、基盤地図情報(でなくても良いのかも知れないが)の形で集約され、多くの人に「飲みやすい」形で提供されるわけである。この「飲みやすさ」には、「精度が保証されること」はもちろんだが、「取り扱いに際して制約が少ないこと、著作権処理などで面倒がないこと」なども重要な要素として含まれるのであろう。


 良い水をどう供給するかは政府か Google に一旦任せることとして、料理の話に戻ろう。ここで、素材を料理する人は、あくまで素材を仕事や趣味に生かすのが目的なのであって、美しい地図、使いやすい地図ができることは、単にその目的を追求した結果に過ぎない。この「目的を体現させた結果として得られる地図」は、もちろん基図ではない。旧来の呼び名では「主題図」と分類されるはずである。
 素材を取り扱い地図にとりまとめる人は、LDの分野にとどまらないが、いずれにしても、「素材を生かして」「素材を損なわない水」と「良い調理道具」を使って料理をつくることが彼らにとっての地図表現である。


 この「料理」は、Geo-Cooking と呼んでみたい。


 こういう料理をするひとは、料理そのものを仕事としているわけではない。だから、chef ではなくcooker である。昔のように、主題図作成は専門家に頼むしかなかった時代とは異なり、これからは、Geo-Cooker には誰でもなれるようになるだろう。多くの市民が Geo-Cooker になることが、「地理空間情報社会の到来」のあるべき姿なのかもしれない。